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インタビュー

社会の中の自分の位置を考えろ:細野豪志氏〔衆議院議員〕

「真面目に自分のビジネスをやろうと思う人は必ず政治の問題にぶつかる……きちんとビジネスをやっていけば、自分の仕事が社会の中でどのような位置づけにあるかを考えるでしょう。そうすれば自然と政治を見ることになると思うのです」――民間シンクタンクを経て政治家となった細野氏の思いを聞く。

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■「限界を超えた存在」を目指して

――はじめに、細野さんが政治を志したきっかけをお聞かせ頂けますか。

私は、もともと弁護士になりたい、という思いがあって法学部に入ったのですが、法律家になるにしても、様々なフィールドを知っていた方が良いだろうと考え、学生時代には、外国人の電話相談にのったり、阪神淡路大震災のボランティアをしたりしてきました。それらの活動の中で政治家に会う機会があって、個別のケースを助ける仕事、というよりは、社会全体のボトムアップを図るような仕事に就きたい、と思うようになったのが大きな理由ですね。

――細野さんが学生時代を過ごした93年には政治が大きく動いた訳ですが、その時何か影響を受けたことはありましたか。

93年当時は政治が永田町のみならず社会に広がった珍しい時期だった訳です。その中で「これは自分にもチャンスがあるのではないか」と思ったのは大きかったですね。ちょうど大学2年生から3年生になる頃、政治の世界では日本新党を始めとする色々な動きが出てきました。そのことに影響を受け、私も外へ目を向けて、社会人と合同の勉強会に参加するようになったのですね。

――進路を選ばれるときはどのようなことをお考えになったのですか。

私は、既に大学の後半では政治家になることを決めていました。ですから、進路を選ぶ際に、松下政経塾という選択肢を考えました。ただ、考えているだけでは仕方がないので、体験入塾などにも参加しました。

もう一つの選択肢は民間企業に入って、スキルアップを図って政治の世界に行く、というものでした。どうせなら、政治家になるノウハウを獲得できるところ、さらに、自分で稼ぐ苦労を感じられるところに行きたい、と思ったのですね。それで、シンクタンクなどを考えました。

私も学生時代に社会人との勉強会に参加して、色々生意気なことを言った時期がありました。そのとき感じたのは、社会人というのは、仕事上の制約や時間の制約で、なかなか言いたいことが言えない側面というのがあるな、ということです。公務員だと政治的な発言がしにくい、とか。そういう限界がある社会人と限界のない学生、という違いがあります。また、学生と違って、社会人には家族や社会的責任という重みもありますから、それらの限界を越えないと政治家にはなれないな、と考えるようになったのです。

――最終的には、シンクタンクを選ばれた訳ですが、どのようなスキルを身につけようと思われたのですか。

一つは、関心を持って学んできた法律論――私は在日外国人の問題や入管の問題に関心がありました――が実際に社会でどのように運用されているのか、ということを知りたい、と考えました。

もう一点は、何をするにしても予算、お金の問題というのを考える必要があります。お金の流れを鳥瞰図的に、あるいは国際的にどうなっているのかを見たいと考えていました。こういった問題は、学生時代に人と話すだけ、あるいは本を読むだけではよく分からないですよね。

これらのスキルを身につけることが出来るのはシンクタンクだというのが、私なりの結論でした。

――実際にシンクタンクに入ってみて如何でしたか。

前半二年間は経済調査、後半二年間は経済外交などをテーマにした受託事業を行っていました。これは政策調査や企画立案を行うものですが、旧通産省などからの受注が多かったですね。当時はグローバルスタンダードということが叫ばれるようになり、BISやISOといった国際的な基準も導入されていた時代です。その中で、日本が金融機関を中心に凋落していく、というような風潮でしたから、このままでは日本が取り残されるのではないか、というような焦りもありました。

シンクタンクにいた四年間のうち、前半の二年間と後半の二年間では大分色合いの違う仕事をしていました。経済調査の仕事というのは、外に出ることも少なくて、毎朝きちっと8時半には机に座り、深夜まで数字相手に格闘しながら、経済動向をシュミレーションする、という割と地味な仕事なのです。時間的にも自由がきかないし、上司と考え方が違ったりして思うことを実現できない苦しさ、というのはありましたね。

ただ、きちんとコミュニケーションをとって、人を動かしていく難しさを学んだのは――それは社会人としては当たり前のことなのですが――非常に勉強になりました。社会人としての限界を感じ、それをまた突破しようと努力したことは良い経験になりました。合わない上司と一年間仕事をしたのですが、その人に認められるために、自分のスキルアップを図ろうと努力しましたよ。上司としては、私を鍛えよう、という意図があったのだと思いますが、レポート一つとっても、四・五回突き返されて、しかも最後に全く違ったものになって公表されるなど、大変厳しいものでした。

■子供の未来を考えたとき、決意が生まれた

――そういったお仕事をしていく中で身につけられたスキルをもって、政治の世界に入ろうと思われたきっかけは何だったのですか。

当時も常に政治の世界にはアンテナを向けていましたし、仕事自体も政治の世界に比較的近いところにいたのが大きかったと思います。例えば、受託調査をやっている時は毎日のように霞ヶ関に行く訳ですが、その中で役所の人の苦しみや日本の経済外交の限界も見えてきましたから。

ただ、私の場合、とにかく四年間は仕事に没頭しようと考えていました。365日24時間、自分の抱えている仕事のことを考えるようにしました。例えば、仕事の資料を電車で読み込むのに熱中して降りる駅を逃してしまったことはザラにあります。もう一点、メモ魔になっていたのが良かったですね。人はぱっとひらめくことはあるのですが、大体すぐに忘れてしまいます。その思いつきをメモして何とか仕事に活かせないか、という意識を持っていたのです。

また、当時は資料を集めるにも大変な状況でしたから、意識的に情報を集めて仕事をしてきたのが今に活きています。今なら、インターネットから役所、国会図書館まで、情報源がたくさんあります。しかし、その集められた情報が正確なものなのか、あるいは裏にある情報量はどれくらいなのか、どの程度の価値なのか、というのは自分で情報を集めて資料を作るという経験をしていると分かってくるのですね。例えば、10あるうち、この資料には3しか書かれていない、ということが分かるのです。

さて、政治の世界に入るきっかけをお話しましょう。私は、シンクタンクにいるときに政策秘書の資格を取っていましたので、たまに議員から電話がかかってきたりしていました。当時から興味もあったので、会社に頼んで休職させてもらい、政治の世界に入ろうとしたのです。

ただ、私の中では、政治家は実務家だし、シンクタンクは学者の知見を借りて政治家に繋げていく仕事です。そして学者はアカデミズムです。どのフィールドで政策を作っていくのか、ということに悩んだこともあったのです。そういった迷いの中で永田町をみていく中で、実際に自分で作っていきたい、というように考えました。

もう一点、子供が出来たのが契機になりました。結婚すると、人は結婚すると守りに入るものですが、子供が出来たことで、踏ん切りがつきました。一人の父親とすれば、今の生活を守ることが子供のためになることはわかりました。しかし、今の社会の流れを前提に、子供の未来を何十年というスパンで考えた時に「このままで良いのか、何かしなくてはいけない」という思いを抱くようになりました。

――始めは、どのような政策にかかわったのですか。

当時は民主党のIT政策を作りましたし、自民党の公約を徹底的に検証する、ということをやりました。自民党の公約は役所の作文なので、矛盾もあるし、検証できないこともたくさん書いてあるのです。これをみて、政治の信頼性はこんなものか、と思いましたね。

――公募に応じて、選挙に出た際のエピソードをお聞かせいただけますか。

本音を言えば生まれ育ったところで選挙に出たかったのですが、さきがけの武村さんがいたので厳しかった。その中で、自分で思い入れをもって携われる地域だと思って、伊豆半島を選んだのですね。ただ、新人の候補者は知名度が低いので、苦労しましたね。名刺を配っているときも「本人によろしくお伝え下さい」とか「写真がよく似ていますね」などと言われました(笑)。また、当時伊豆は古い地域でしたから、苦労しましたね。

――選挙の時に訴えたのはどのようなことですか。細野さんの演説は力がこもっている、と評判です。

まず、初めの選挙の時は開き直って「今の政治に必要なのは地域への利益誘導ではなくて、本当にやるべきは外交や国防です」という訴えをしたのです。利益誘導といっても実際のところはかなり胡散臭いものです。情報を少し早めに入手して、それを自分の手柄として発表しているだけのことなのです。そういった政治の胡散臭さに、有権者も気づきつつあったのです。

もう一点、力があるということについて、昔から応援してくれたメンバーが、かつて私の演説について、「全くダメ」と批判してくれたのです。当時はきちんと説明すれば伝わると思っていたのですが、人に伝えるためには、何かをのっけなくてはいけない、そう気づいたのが早かったのが良かったですね。政治はやはり人の気持ちを動かすことが必要です。これは有権者のみならず、政治家同士、スタッフ、役所の人に対しても同じです。

■政治の挑戦は「先見性」にある

――政治家に最も求められている能力というのは何でしょうか。

ありきたりになるかもしれませんが、コミュニケーション能力は重要ですね。相手によってその表現の仕方を変えながら、しかも勘所を掴みながら伝えなければなりません。これがきちんとできる人は仕事ができます。自分の中から同じ形でしかメッセージを伝えることしか出来ない人は政策立案能力にも疑問があるのではないでしょうか。民主党の中で言えば、前田さんや野田さんはこれらの能力を備えていると思います。

ここにいると、情報というのはびっくりするほど入ってきます。ですから、何が重要かという情報の勘所を掴むことは極めて重要です。もちろん、情報をざっとみて、何が重要かを整理する能力は重要ですが、どの情報にパッションを感じるかというのが、ポイントですね。

もう一点重要なのは、執着心ですね。世論というのは色々動くものですが、ずっと自分の主張をきちんともっているか、やるべきことを見据えているか、ということが重要な要素ですね。政治の挑戦は、どれくらい先を見ることができるかという先見性にある、と私は考えています。

――議員として、今後取り組みたいことは何ですか。

国内の治安も含めて、外交・防衛といった問題に興味があります。そもそも国家の役割として根本的な部分なのに、今まで疎かにされてきました。はじめは経済外交をやろうと思っていたのですが、結局経済外交も力の裏づけが必要なのです。その力とは外交力や軍事力といった部分になってくる訳です。これらをきちんと考えないと経済外交も出来ない、という思いが出てきましたね。

また、安全というものに関心が向いた原体験は阪神淡路大震災ですね。当時私は京都にいたので、ボランティアに参加もしたのですが、こういった時に頼りにならない国家はダメだな、と思いました。

――政治を志す若者へメッセージをお願いします。

こと、政治家に関して言えば、選挙というのは高いハードルになります。ですから、漠然と政治家になりたい、と思っていてもダメですね。何故政治家になりたいのか、と突き詰めて考えていくことも重要ですし、考えるだけではなくて、必要なアクションをとっていくことをしなければなりません。リスクをとらないと政治家にはなれません。夢をみているだけでは仕方がない。政治家という夢に向かって、自分のやるべきことを出来るだけ具体化し、リスクをとりながら一歩一歩進んでいく人にはチャレンジして欲しいと思います。それだけの価値はあると思います。誰にでもオープンな世界になりましたしね。

私自身は高校生くらいから政治に興味があったのですが、なかなか当時政治に触れる機会はなかったですね。ですから、若い人に機会を提供する、という意味では私も色々お手伝いしたいな、という考えを持っています。20代や30代の若手に政治への関心がない、と言われていますが、実はもっと早い段階で興味を持ってもらわないと、出来上がったイメージ・先入観というものが身についてしまいますから、そう簡単には関心を持ってもらえないですよね。

――政治に関心がない若いビジネスマンへのメッセージは如何でしょうか。

真面目に自分のビジネスをやろうと思う人は必ず政治の問題にぶつかると思うのです。会社に入ったところで、会社のためだけに働いていても自己実現できないし、むしろ組織の方も歓迎しないでしょう。きちんとビジネスをやっていけば、自分の仕事が社会の中でどのような位置づけにあるかを考えるでしょう。そこから目を閉ざして、自分を組織に埋没させる誘引があるのかもしれないけれど、自分を社会の中に位置づけて欲しいですよね。そうすれば自然と政治を見ることになると思うのです。

また、今の政治はマイナス要因ばかりがクローズアップされていますが、日本のビジネスモデルやルールを国際的に広めていくような動きもありますし、ビジネスにとってもプラスに利用できるものだと思うのですよ。政治の側でもそういった、プラスの面をみせていかなくてはなりませんね。

■政治を「見せる」「伝える」ために

――政治を「見せる」という観点での活動については如何でしょうか。

FMのローカル番組を持ったり、CATVに参加したりしました。ローカルメディアを重要視しています。また、私の場合は中高生にもメッセージを伝えようと思っていますので、きちんと彼らにビラも配りますよ。やはり政治をやっていると選挙、というのが大変気になりますので、例えば街頭演説では名前を伝えることが目的になってしまいがちなのですが、本来は中身を訴えることが目的です。ですから、私のこだわりとして、同じ場所で同じビラを配ることはしないようにしているのです。同じビラを配るくらいならやらない。このこだわりがどれくらい伝わるかわかりませんが、自分の中でそういった課題を課しているのです。このこだわりを捨ててしまっては、名前を売込むことが目的になってしまいます。

また、新しい試みとして、最近は携帯電話用のメールを利用しています。これは、どういった情報をどのように、どこに投げるか、という観点からとても重要なことです。

例えば、携帯用のメールは10代の人も対象にしています。マーケティングでも一緒ですが、ツールと内容を使い分けながら、要はOne to Oneでコミュニケーションを図るのが重要なんですよね。不特定多数の人に、同じようなものを送ってもヒットしないのです。Faxもメールも利用します。例えば、ある特定の企業やグループにメールを送っても総務の人がみて終わりです。しかし、Faxで送って貼ってもらえればみんなに見てもらえる訳だし、頻度は低くてもお年寄りには紙で郵送すれば見てもらえますよね。メディアミックスというか、適切な相手に適切なものを伝える、ということが重要なのです。

私の選挙は、よく手伝ってくれる一人の人と私で決めるのです。合議制でやると、戦略のブレが生じます。もちろん、関係者への根回しはしますけれども。

――今夏の参議院選挙については如何でしょうか。

去年の衆議院選挙はマニフェスト選挙と言われました。政策そのものをみれば民主党に分があったと思うのです。しかし問題は、今までの政治が政策そのものを提示する、というやり方をしてこなかったことです。これからstep by stepで変わっていくものと思っています。次の選挙が今の動きを引き継いで、政策本位で行われるかどうかが重要です。これは自民党が勝つとか民主党が勝つとか、そういう問題ではありません。政治の世界が諦めずに有権者に伝えていく努力をすることが重要です。

――最後に「リスクを取ってでも、政治家にはなるだけの価値がある」という思いをメッセージにしていただけますか。

政治家になりたい人であれば、社会をこうしたい、というイメージを何がしか持つと思いますので、その自分の思いを直接実現できる、というのが大きい魅力ですよね。

あと一つは、「Passionのある人生」というのは楽しいと思いますね。地元で大切な人が死んで悲しんだり、けしからん役人に対して憤りを覚えたり、政策を実現する喜びを感じたり、常にそういうPassionに触れることができるのが政治の魅力だと思いますよ。

――本日はお忙しい中、本当にありがとうございました。

細野豪志〔ほその・ごうし〕氏
昭和46年生まれ。京都大学法学部卒業後、三和総合研究所・研究員として、経済政策・通商政策の立案に携わる。平成12年6月、衆議院選挙にて静岡7区より出馬し、28歳で初当選。現在、安全保障委員会理事・民主党国会対策委員会副委員長を務める。尊敬する政治家は吉田松陰。愛読書は安岡正篤の思想書や麻生幾の危機管理関連の本など。座右の銘は「志達」。――思いを強く持てばそれが叶う、という意味の造語。国会質問でも選挙でも、あるいは国家の運営まで、志や思いが明確になっているときは達成できる。逆に失敗した時は思いが明確になっていないときだ、という。

※この記事は2004年5月発行『New Beginning』第3号に掲載(肩書き等は当時)。

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