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インタビュー

逗子発日本再生!若い力が政治を変える:長島一由氏(逗子市長)

「一人の声とは、大きなものなんです」――テレビ局勤務を経て、独自のメディア『週刊長島』を武器に単身、全国最年少の市長として政界に乗り込んだ長島氏。情報公開や市民参加を推し進め、他の自治体や国政にも影響を与えるその卓越した手腕からは、一人が立ち上がることの重要性と政治への希望が見えてくる。

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■政界に飛び込むまで

――まず、そもそもなぜ政治を志したのか、その経緯や理由をお聞かせ下さい。

自分の名前は長島一由、数字の「一」に自由の「由」と書くのですけど、祖母が「将来選挙の時に書きやすいように」ということで。身内に政治家はいなかったんですが、生まれたのがちょうど昭和42年1月18日、第31回の衆議院選挙期間中だったんですね。たぶん世の中選挙一色だったから、イメージでそういう風につけたのでしょう。このことは漠然と頭の中にはありましたが、大学時代とかには別に政治家になろうとは考えていなかったと思います。

それが、大学を卒業してフジテレビに入って、報道記者をやっている中で、ちょうど55年体制が崩壊して細川政権が誕生して、その頃から政治を意識し始めました。テレビの記者ですから、政治家や官僚が会議室を出入りするのを待って取材するのですが、その物事の決定のプロセスが見え難いということと、何故こんなに国民の感覚・市民の感覚とずれるんだろう、と。だったら自分が将来的にあの会議室の中に入って当事者となって世の中変えていけたらなあ、と。

ただ、その時点でいきなりフジテレビをやめて政治の世界に入ろうとは思っていなかったのです。40歳か50歳くらいに、人脈をつくって、あるいはお金もためて。当時、衆議院選挙というのは最低でも5,000万円の資金が必要だと聞いていましたし、小選挙区制になりましたから政党の公認が無いと勝てないだろうという予測があって。人脈をつくってお金を貯めてからだと思っていたんです。

ところが29歳の時に、フジテレビを休職して改めて大学院に行くことになって、いろいろ挨拶回りをしていた時に、「お前そんなに時間があるんだったら今度の衆議院選挙に出てみたらいいんじゃないか」と言われて。ああそうか、今だったら辞めないで選挙に出られるんだ、と。それに、満を持して40歳か 50歳かで出るとしても、この経験が絶対役に立つはずだと思いまして、第41回の衆議院選挙に出馬したんです。

――初め、大学卒業後にフジテレビにお勤めされたのは何故ですか。

大学時代にウィンドサーフィンをやっていまして、3年生のときに全日本チャンピオンになったんですが、それがちょうど4年に一度のオリンピックの年だったんですよ、ソウルオリンピックの。次のバルセロナオリンピックまで4年間ありましたが、代表メンバーの入れ替えがある時期で、そこで全日本チャンピオンになったということは私が一番オリンピックに近いポジションになったということですね。それで、当時は商学と法学の修士をとると無試験で税理士になれましたから、大学院に行ってウィンドサーフィンを続けながら資格を取って税理士になろうと思っていたんです。

ただ、せっかくの就職の機会があるから。たまたま電通に先輩がいまして、ウィンドサーフィンのワールドカップとか、ル・マンとか、ヨットのワールドカップのアメリカズカップとかを担当している人がいて、スポーツイベントのプロデューサーって面白いな、と。それで電通とフジテレビを受けて、フジテレビに受かったんですね。オリンピックを目指そうかなとも思いましたが、会社でいろいろと大きな話を聞いて――東京ディズニーランドを上回る遊園地をつくりたいですとか、こういうトレンディドラマをつくりたいですとか、目を輝かせながら話している同期たちがいて、それでフジテレビに入りました。ですから、報道志望だったとか政治を志望したからフジテレビに入ったということでは、まったくなかったですね。

――衆院選に出馬された後、鎌倉市議になられましたが、目指す方向を国政から鎌倉市政に変えられたのは何故ですか。

もともとは衆院選に落ちたら会社に戻るつもりだったんですけどね。選挙が終わったときに考えが変わったんです。

この選挙で、ポスター貼って選挙カー回すという普通のやり方では、やっぱり票も取れないし勝てないから、差別化を考えました。神奈川4区には大きな駅が5箇所あるんですが、そこに朝6時半から9時まで立って、『週刊長島』という新聞を配ったんです。

フジテレビで記者をしていて政治とお金の関係が不透明だと思いましたので、選挙に際して政治資金はもらわないで、自分で用意した1,040万円、何に幾ら必要でどれくらい使うかを『週刊長島』でオープンにしたんです。そういう情報や選挙活動中に感じたことをいろいろと伝えていったんですね。例えば、誰々さんが「500万円払ったら私がいろいろ(票を)まとめてあげる」と言ってきた話とか、そういうのを全部暴露して。

1998(平成8)年の10月20日が投票日で、7月1日から配り始めて、初めは朝の6時半から9時までに300枚くらい渡していました。それが投票日の頃には大体3,000枚くらいに増えていって。選挙が終わった次の週、感謝の気持ちを込めて駅に立ったんですが、そのとき「会社やめちゃうの?」とか「会社戻っちゃうの?」とか「頑張ったね」とか「またやれよ」とか、いろいろ声を掛けてもらったり、いっぱい手紙が来たりしてですね、これはもう会社を辞めざるを得ないな、と。

結果は負けちゃったんですけど、1位が4万6,000票で(自分は)3万票くらいいただきまして、これなら自分は政治家としてもやっていけるんだろうな、と思いました。

それで会社辞めて。衆議院選挙も目指していたんですが、たまたまその半年後に鎌倉市議会選挙があった。鎌倉市は神奈川4区のエリアの1つで、七里ヶ浜というサーフィンのスポットがあるんですけれども、そこに堤防が造られる計画があって、それも海のためではなく山の崖を治すのに水産庁の補助金か何かをもらうという。堤防を造れば崖地対策として国から補助金がもらえるから造ろうという、動機が不純なものですから、そういったものを鎌倉市議になって正そう、と。衆議院はその後でもいいんじゃないかということで。ですから「私は次の衆議院選挙に出ます」と。「それまでの間、鎌倉市議会に出させてください」と。そういう形で鎌倉市議会、地方政治に飛び込んだんですね。

■逗子発日本再生!―地方から日本を変える

――鎌倉市議を一年半ほどお勤めになった後、今度は現在の逗子市長になられました。

どんな仕事もそうだと思いますが、自分にどこまでできるか。記者のときもそうでしたけど、鎌倉市議になってどこまでできるか。勿論、やりたいことは情報公開とか市民参画とかありますが、じゃあどこまでできるか、わからなかったんです。しかし、何でもオープンにできるんですよ。組織も無い、お金も無い、地盤も無いということで、しがらみも無いから自由にものが言える。そういうスタンスでやっているので。
例えば、公共事業を減らすから建設業者がみんな自分の敵になるかというと、そうじゃなくて、談合のせいで仕事が取れない建設業者もいるわけですね。市議になってすぐ、談合のルールがおかしいという内部告発が自分のところに来たんです。鎌倉市の公共事業はほとんど全てが談合で、職員の対応もおかしい、と。

その建設業者は入札妨害に遭ったので市の入札契約課に行ったんですが、普通だと警察に言いましょうというべきところ、職員は「建設業協会に言って下さい」と回答したんですね。そこで建設業協会に行ったら「私たちはこういうルールで談合しているんだから、従ってください」と言われたという。そういうのをテープで事業者がみんな録音して、内部告発してきたんです。

そこで、そのテープをもとに公正取引委員会に告発をして、議会でも追及をして。大切なのは批判をするだけではなくて対案を考えることですから、談合監視委員会をつくったり、入札予定価格の事前公表という提案をしたりして。平成10年から鎌倉市は入札のシステム改革を行なったんです。そうしたら年間で 8億円の節約になっただけではなく、他の自治体から視察とか問い合わせがあったり、全国報道されたりしたんです。他へ波及していくわけですよ。それで、地方から世の中を変えていく方法ってあるんだな、と。

鎌倉市議会議員をやっていたとき、金沢で全国都市問題会議というのがあって、当時の栃木県の今市市長で全国青年市長会の会長をしていた福田昭夫さん(現栃木県知事)が、「自分は人口5万人くらいの市の市長をしている。職員の規模、予算の規模、そういった点から言って小回りが利く。だから自分はどんどんモデル事業をして、今市から日本を変えようとしているんだ」と。これだ! と思ったんですね。福田さんのところに個別にも話を聞きに行って。自分はテレビ局で国政取材をしていたから衆議院議員と思っていたけれども、地方の首長になって、小回りが利く自治体でモデル事業を展開して日本を変えていくという方法もあるんだな、と。

それで衆議院選挙から逗子市長、ということになったんです。自分の場合、さっき言ったように衆議院選挙を目指していたので、鎌倉市議なんですけれども神奈川4区内の逗子市でも活動していたんです。それで、普通はあまりあり得ないんですが鎌倉市議会議員から逗子市長になったんです。

――今のお話が「逗子発日本再生」ということですね。もう少し具体的にその意味と、市政と国政とをどう関連付けて捉えていらっしゃるかをうかがいたいのですが。

そうですね、「逗子発日本再生」というのは福田さんの話にも共通するんですが、全国の自治体に波及するようなモデル事業や先進的な取り組みをどんどん展開して、逗子市民のためになることは勿論だけれども、他の自治体にも波及していくような、全国をリードするような政策や条例を展開していこうということなんですね。

例えば逗子市は、2002年度、2年に一度の調査ですが日本経済新聞の全国行政透明度ランキングで1位になったんですね。私が市長になったとき 256位だったんですけれども、2年後には47位になって、2002年に初めて1位になりました。会議公開制度ですとか、外郭団体の情報公開とか、いろんな情報公開のシステム改革をしたことが評価されました。それが絶対的な指標とは言えないかも知れませんが、これからも逗子がリードして他の自治体を引っ張っていけることをしようとしています。

時限公開制度といって、市政の情報を非公開とする場合でも必ず期限をつけるという制度への改正や、あるいは予算の策定過程をオープンにすること―― 予算は春に市長ヒアリング、秋に事業査定、冬に今予算査定というのをやってつくっていくんですが、一番初めの市長ヒアリングを、今まで庁内で議論していたんですが、市民に公開して市民からも意見を聞く。予算づくりの一番最初の段階で市民参加をさせる。この取り組みも他地域からかなり視察が来ましたね。他にも3年位前から本腰入れてつくっている行政評価システムとか。そうやって先進的な取り組みをして、他の自治体をリードしていくことによって、日本を良くしていく。それが「逗子発日本再生」です。

本来的に言えば、法律をつくったり改正したりするのは国がリードしていく部分がありますけど、逆に国がやらないことを地方で率先してやってしまって変えていく、という方法もあるんですね。例えば、お母さんがパチンコに行って子供を車内に置き去りにしてしまって亡くしてしまう、という痛ましい事件がありますよね。それで最近、車内の置き去り防止条例というのを、市民アンケートを取りましたら6割7割くらいの方が是非つくるべきだという意見ですので、議会に提案しようとしています。ただ、これはアメリカなどでは当たり前になっているんですね。日本では、こういったものについては児童虐待防止法というのがあって、事故が起きた時のペナルティはありますが、未然に事故を防止するための法律はないわけです。だったら、逗子市がそういうのを先駆けて条例でつくってしまおう、と。国が世の中を変えていくのがスジかも知れないけれども、地方から世の中を変えていくというのも、かなりできるんだと思います。

■『週刊長島』という政治手法

――それ以外にも、福祉の充実やまちづくりや情報公開、いろんな先進的な取り組みをなされて成果を挙げられていますが、長島市長個人にフォーカスさせていただきますと、そのような取り組みを可能にしている原動力や強みとは何なのでしょうか。

それは俗人的なものもあるのかも知れませんが、それ以上にやっぱり「成り立ち」ですよね。例えば、普通の政党のものとは違うんですけど政策協定というのを約束として行ないまして、必ず定期的に選挙の前だけでなく前も後も新聞を配り続けること、それから政治資金をガラス張りにして、政治献金を一切受け取らないこととか、そういうことだけを約束して、あとは基本的に、合理的に物事を政策的に考えていくということです。今はもうイデオロギーの時代じゃないから。いかに合理的にも物事を解決していくか、対案を打ち出していくかという時代なので。それに、このような形で活動している人たちは自ずと、全部浮動票で市議会議員になったり、あるいは市長になったりしますから。本当に前例にとらわれないで、あるいはどこかからの圧力とかも感じないで、こうだったらいいな、ということを実現させていく、それだけだと思うんです。

ただ、首長の場合は、私なんかもそうですけど、それだけ議会対策は苦労しますね。あるいは議員でも、若くても経験がないからということでベテランの議員の会派に入って初めのうちはおとなしくしているというパターンがありますけど、そういう人(長島流の手法を取る議員)たちは単身乗り込んでいろいろ提案するから、逆に数の論理に苦労する部分はあるかも知れませんね。

ただ、自分自身でも予想外にこれは大きかったと思うのが、ずっと新聞『週刊長島』を配っているじゃないですか。例えば、一般質問でも普通だったら「入札のシステムを改革して下さい」と言うと、「検討します」で終わっちゃうんですね。だけどそこで終わらせなくて、新聞に「○○総務部長が入札システムの改革について検討しますと言いました」、と書くんですよ。それで次の議会で、これは検討すると言っていましたが、どういう検討をしたんですか、と。検討していなかったら怒るわけですね。検討していなかったら「検討していなかった」って書くし、検討したら「こういう検討をしていた」と。さらに、検討の結果こういうアイディアが出てきたけど、どれにするんですか、と。どんどん追い込んでいくんです。

たった一人なんですけどこうしたプロセスをつまびらかにして記事を書いた新聞をいっぱい配るから、行政に対しては非常にプレッシャーになるんですね。そういった意味で新聞は、当初は選挙のために自分の存在自体を覚えてもらうとか、自分の活動を知ってもらうために配ったわけですけど、実はそれは、当選後にも継続することで自分を守ってくれる。行政や他の議員にプレッシャーを与える武器になるんだってことを、やってみて初めてわかりましたね。

■政治の世界に若い力を

――長島市長は最年少で市長になられたということでも有名ですね。現在、若手の政治家の方も随分出てきているように思いますが、若者の政治意識が低いということも現実として言われています。このことについては、どう考えていらっしゃいますか。

自分自身ももうすぐ37歳で中途半端な年ですから、若い人はどうだとか昔がどうだったとか、あまりわかり難いんですが、二極化しているんじゃないでしょうかね。関心を持っている人とそうでない人に。

ただ、少なくとも自分自身のまわりで政治の世界に入っている人たちって、もともと関心のあったっていう人は少ないですね。もともとは無かったんだけど、自分が実際に政治家になって世の中変えてみようって意識を持ったときはもう、仕事としてものすごい関心を持っていて良い提案を出す、という。人にもよると思うんですけれど。

だから、政治っていうものは実は一人の声ですごく変わるんだということを、もっとみんなが知ったらいいなと思います。例えば、市長にメールや手紙が一日にどれくらい来るのか。普通の人は、市長に手紙を書いたとして、市長は本当に読むのか? と思うでしょう。出したとしても、余程のことが無い限り、例えばこれを聞いてくれなかったら誰かが死んじゃうとか、それくらいのことじゃないと何も言うこと聞いてくれないんじゃないか、というイメージを持っているかも知れませんけど、全然そんなことなくて、平均でいうと一日5通くらいですよ。中には勿論できないこともあるけど、できない理由はちゃんと返すし、全部もちろん目を通すし、担当職員にも全部届くわけですよ。他の市役所も全部そうだと思うんですけど。

一人の声は大きなものなんです。特に若い人は声を出さない人が多いので、逆に声を出す人たちは市民参加の市民全体会議とか市議会とかでいろいろと活動するわけですが、手を挙げればほとんどなれるわけですよ。知識が無いから、あるいは経験が無いからなれないということはなくて。

それに、政治家のハードルって正直、普通の地方議会の議員になるんだったら、やり方とかもあるとは思うんですけど、普通の会社に入るよりたぶん楽なんですよね。市議会議員になるってことがどれくらい大変なことなのか。普通は、地域の役員をやっているとか、ボーイスカウトに余程の知り合いがいるとか、とにかく地元じゃなかったら勝てないとか、そう思うところですけど。そこに三ヶ月住んでないと選挙には出られませんけど、三ヶ月前に住民票移して、そこから活動して勝った人、何人もいますからね。

それだけ旧来の「組織」の組織力も低下していますし、締め付けも効かなくなっていますし、本当に浮動票だけで選挙に勝てる時代になっていますよね。だからもっと、自分が政治家になるっていう意識を大事にした方がいいなと思います。

――今後、市長として最も力を入れて取り組んでいきたいことは何でしょうか。

市長というのは、ちょっと議員と違って全部やらないといけないから、言い難いこともあるんですが、やっぱりハードで日本一のものをつくるような街ではない――例えば日本一立派な図書館をつくるとかいう街ではないから、「仕組み」の部分で先進的なものをつくろうと思います。あと、情報公開とか市民参加ということですね。

街単体のことで考えると、まちづくりですとか環境対策ですとか、あるいはもっとローカルな話題ですけれど池子米軍住宅問題とかですね。市民参加、というか市民とのパートナーシップという形では、まちづくりもそうですし、地域通貨、それから市民シンクタンクをつくって市民のベンチャービジネスを支援しよう、みたいな案もあるんですね。そういうものについては、もしかしたら、学生と協働できる部分もあるかも知れません。

今、秘書課で調査機能を高めていまして、秘書課というのは普通は接遇ですとか、市長の日常のサポートというイメージがあると思いますが、うちの場合はかなり政策をつくらせているんです。調査担当を置いてリサーチさせて。そのあたりのところで大学院生を2名程度、非常勤として採用したいと思っています。学生でチームつくって、どんどん政策提案してもらいたいな、という風に考えているんです。

――長島市長は『普通の人が夢をかなえる50のヒント』(ポプラ社)という本をお書きになっていますね。本誌の読者は私たち同様、普通の若いビジネスマンや学生なのですが、そういった人々に向けたメッセージをお願いします。

ちょっと漠然とした話になってしまいますが、現在、日本においては一流大学を出て一流企業に入る、というルートがある一方で、人材が政治の世界に流れていないと思うんですよね。だからこそ政治の世界はやりがいがあるんじゃないかと思います。例えば、80点の人がいたとして――何をもって100点かというのは難しいですが――、ビジネスの世界や経営の世界で80点の人材が、政治の世界では160点くらいの活躍ができるんじゃないかな、と。つまり、政治家でも政策スタッフでも、特に首長なんかの場合だと、権限は間違いなく相当ありますので。これは僕も政治の世界に入って思ったんですけど、やっぱり市長っていうのは予算編成権、許認可権、人事権、大変な権力者なんですね。だから4年ごとの選挙があるんですけど、そこで普通のサラリーマンがある日突然社長になっちゃうんですよね。

そういった意味で相当なやりがいがあると思いますし、特に現在、ビジネスの手法とか経営手法というものが政治に求められていますよね。行政はサービスを提供するわけですが、限られた予算の中で、いかに市民の満足度を高めていくサービスを提供するかということで、見せる工夫とか伝える工夫とか必要ですし。

全国の自治体でも国でもそうかも知れませんが、公務員の世界にいかに競争原理を持ち込むかが、今年の最大テーマの一つなんですね。重点的な取り組みとして三つ、研修のあり方の見直しと、年功序列を崩すということと、目標管理制度の導入を考えています。

研修のあり方の見直しというのは、うちの場合は20年間で職員を半分にしようとしていますから、職員が半分になる分、必ず正規職員がほかの非常勤を使わなきゃいけなくなる。職員が半分になれば非常勤が4倍になるんですよ。ですから研修には地方自治法などの知識の集約だけじゃなくて、マネジメント能力とか、あるいは市民の力をどんどん借りていかなくてはいけませんから、市民のコーディネート能力とか、プレゼンテーション能力とかが必要になってきますから、そういう研修のやり方を考えています。
それから5年間勤めると1号俸上がるとか3年間経つと1号俸上がるとかいう、従来のところてん式の人事、その年功序列を崩そうというのが2点目。

3点目の目標管理制度は、組織としては行政評価システムということで期限を区切ったり、ベンチマーク手法を採用したりしていて、例えば、開かずの踏切があって一日に最長で39分も閉まっているとしますと、これを向こう3年間で30分にしようとか。そういう期限をつけたり数値目標を掲げたりということなんですけれども、それをもっと個人のレベルに落として、企業ではやっているかも知れませんけど、上司と部下で協議して、今年のあなたのミッションはこれですよ、と決めて、どこまで到達したのかで評価をしていくということです。

その3点をうまく連携させて、将来的にはもっと能力給を導入していくとかですね。小さなことのようですけど、僕は5年間市長をやっていて、そういったインセンティブをいかに公務員の世界、市役所の世界に持ち込むかということが、情報公開や市民参加や福祉とか、すべて含めてサービスの質を上げていくために必要だと思っているんです。そうした意味で、人材がビジネスの世界だけでなく政治の世界にも飛び込んでいくことは必要なことですし、とてもやりがいがあると思いますね。

――はい、ありがとうございました。

長島一由〔ながしま・かずよし〕氏
昭和42年生れ。36歳。早稲田大学教育学部卒業。在学中、ウィンドサーフィン全日本選手権優勝。㈱フジテレビジョンにて政経部記者、「ニュースJAPAN」ディレクター。平成5年、青山学院大学院修了(国際政治学修士)。平成8年、衆院選に出馬し落選するも、翌年の鎌倉市議選でトップ当選。平成10年、東京大学大学院修了(法学修士)。同年の逗子市長選で当選、全国最年少市長となる。現在3期目。他に、清和大学法学部非常勤講師(政治過程論、比較政治)、早稲田マスコミセミナー非常勤講師。著書に『普通の人が夢をかなえる50のヒント』(ポプラ社、2002年)がある。

※この記事は2004年1月発行のMPI機関誌『New Beginning』に掲載したものです(肩書き等は当時)。

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