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バイオインフォマティクス最前線(松岡洋平)

一人一人の体質に応じた投薬を行い、ピンポイントで効果があり、副作用も皆無……一昔前は全くの夢物語でしかなかったことが今、現実になろうとしている。この夢物語を実現する際の大きなキーワードが「バイオインフォマティクス」である。今回はバイオインフォマティクスの先端を行く某大学院の大学院生にお話をうかがった。

――まず、「バイオインフォマティクス」とは何か、という基本的な質問からさせていただきたいのですが。

バイオインフォマティクスはそもそも生命科学に情報科学的な視点や概念が融合されて生成された分野なのですが、近年ではますますバイオインフォマティクスの意味する範囲は広がりを見せています。例えば、東京大学医科学研究所の高木利久教授はバイオインフォマティクスを次のように定義しています。

【バイオインフォマティクス】
調べるべき、あるいは実験で確かめられるべき膨大な探索空間(例えば遺伝子やタンパク質の数、あるいはそれらの相互作用の組み合わせなど)を狭めてくれる情報技術、及びそのための基礎理論。

たとえて言うとマルチメディアと同じような言葉なのではないでしょうか。みんななんとなく知っていてイメージは持っているものの、いざ考えてみるとすごく幅広くて定義が難しい。

――確かに非常に幅広い概念ですね。確か2000年でしたか、一時期非常にゲノムゲノムと騒がれていたと思うんですが。

ちょうど、セレーラジェノミクスがヒトのゲノム配列をほぼ完全解読したころでしょうか。確かに一つの大きな分岐点とはいえますが、バイオインフォマティクスという観点から言えばまだ始まったばかりなのです。

――まだ始まったばかりというのは?

バイオインフォマティクスには大きく分けて3つの観点があります。

一つはゲノム情報をいかに医学と結びつけるか。これは個々人の遺伝子に合う抗がん剤を使うとか、疾患に効くかどうか、といったものです。一番分かりやすいかもしれませんね。

二つ目はシミュレーション。シミュレーションには生命システム、つまりシステムバイオロジーと呼ばれるものと、それからもっと細かい個別の細胞についてのシミュレーションがあります。

システムバイオロジーはどのようなメカニズムで疾患が発生しているかを解き明かす、というと簡単かもしれません。人間の体は本当に複雑なんですが、細かいところまで見ていくと、疾患の原因になっているのはある特定の遺伝子やたんぱく質が関係していると。そのとき人体には一体何が起こっているのかがわかれば、それを解消する薬を作ったり、実際に投薬すればよいかが分かる。それをシミュレーションによって解き明かそうというものです。

三つ目はそのままずばり、薬を作るということです。たんぱく質の組成を調べたり、物理的な観点から分子レベルの動きまで把握したりして、計算化学を用いて薬を作っていく。これによって個別の疾患にピンポイントで効く薬を作っていくことが可能になるのです。

――なるほど、非常に奥が深いな、というのが第一印象です。高校のときの生物の授業を思い出しますね。

ビジネスへのインパクト

――バイオインフォマティクスのビジネス上のインパクトには、どのようなものがあるのでしょうか。

最近のバイオインフォマティクスの学会にオラクルの幹部が来訪するなど、これまではIT企業のジャンルに分類されるような企業が積極的に進出してきています。IBMなども世界最高速のスーパーコンピューターを開発しているのですが、バイオインフォマティクスがメインユースの一つだと考えているようです。これには、個人の違いに応じて薬を調節するなどといった臨床場面において相当な規模のストレージとCPUパワーが必要になるという背景があると思います。
個人の遺伝子をデータベースに蓄え、投薬の反応をシミュレーションした上で最適な薬の組成をスピーディに導く、というのは想像もできないくらい大規模且つ高速なコンピューティングパワーが必要とされます。ある意味インフラ的に必要とされてくる、というのが明確に見えてきていますしね。

――製薬ビジネスにはどのような変化が。

実は、ゲノムが解読されて以降、新薬はそれほど劇的に増えているというわけではないんですよ。期待されているほどには出ておらず、まだまだこれからといったところでしょうか。

ただし、合併や買収は非常に活発に行われています。やはり先行者利益が大きいですし、製薬企業におけるR&D投資の比率は他の業種と比べても群を抜いています。例えば、業界首位のファイザーの場合、約1兆円もの資金が毎年R&D投資に回されています。

自社に必要な技術を持つベンチャーや他社の事業部門との提携、買収など、ますますR&Dマネジメントの出来によって企業の業績が左右されるようになってきています。

――セレーラなどの企業は何によって利益を上げているのですか。

データベース利用料と特許使用料です。先行者利益が大きいというのは、特許による障壁が非常に高く、研究の初期段階から特許を見据えたR&D戦略が必要とされているということと同じことなのです。

ただし、特許にも色々ありまして、遺伝子でとる場合やたんぱく質で取る場合などがあります。

――その違いは何なのでしょうか。

ヒトの遺伝子が4万程度だということは判明していますが、そのうち1000~2000程度の遺伝子が疾患に関わっているのではと予測されています。ただし、遺伝子がわかったからといって解決するわけではなく、具体的に薬を作っていく際には多様なたんぱく質を見ていく必要があります。遺伝子で取る場合は遺伝子を利用して研究する企業から特許料が取れますし、たんぱく質で取った場合には同様の薬を作っている企業に対して請求することが出来ます。どちらに重点を置くかは企業によって違いますが、中にはたんぱく質の立体構造で特許をとるところもあります。

――立体構造というのは?

たんぱく質というのは組成がわかっても、いざ薬にする場合にはたんぱく質そのものの形を把握して、薬をどのように設計するかという作業が必要になります。

たんぱく質の形は千差万別ですから、これまでは莫大な投資をして個々を調べる必要がありました。立体構造が分かれば薬を作るうえで時間と費用を大幅に節減することが出来る。そうしたところに目をつけた企業というのも現れてきているということです。

――やはり創薬の産業インパクトは大きい。

そうですね。勿論、一つの薬が何百億、あるいは数千億単位で売り上げることもありますから個別の薬にかけるインパクトも大きいですが、同時に代替性、つまりこれまでより良い薬ができた場合には一気に代替が進むというのも製薬独特の現象だと思います。

バイオインフォマティクス全体では、2010年には日本でも10兆円産業になると言われています。創薬以外にも様々な分野が立ち上がってくるでしょう。

バイオベンチャーの勃興とその課題

――バイオベンチャーも随分出てきています。

技術と言うととかくITと言われますが、そんなことはない。バイオも非常に面白いと思います。今、バイオの世界でもどんどん技術系の人々が経営系にシフトしてきています。チャンスが転がっているのは確かですし、おそらくここ10年くらいが勝負、それをみんな分かっていますからね。

ただし、個人的にはビジネス的な視点だけでなく、ソーシャルベンチャーのような形での起業というのも増えていくのではないかと思います。バイオインフォマティクスによって創薬の目処がついても、いざ事業化するとなると市場規模やコストの問題があってなかなか実現しないこともあります。そうした場合にうまくビジネスモデルを作ることができれば、これまでにない創薬の在り方が可能になるのではないでしょうか。

――日本でのバイオベンチャーの立ち上がりをどのようにご覧になっていますか。

ほとんどは日本をメインの市場としているようです。ただ中には、日本で実績を固めるというよりは早期の時点でアメリカに支社を作るところがあると聞きます。

――それは何故でしょうか。

ファイザーなどの海外のメガファーマとの取引を考えるとアメリカにいるほうが有利だという話です。それに加えて、日本に弁護士などのベンチャー企業をサポートするプロが少ないということでしょうか。

――弁護士がいない? 先ほど特許の話をされていましたが、そのあたりの事情ですか。

そうですね。ベンチャーにとっては、いくら良い技術を自分たちが開発しても、大手がすぐ参入してくるようでは到底事業を続けていくことはできません。参入障壁として特許を先行的に取得したり、大手との提携に当たっても特許についての優位性をしっかりと定めておかないと足元をすくわれることになります。

やはり日本にはそうした海外との契約や交渉に際して経験豊かな人材がそう多くはいません。ベンチャーにとっては大手との契約は死活問題ですから、優先的にアメリカに行くのも自然な成り行きではありますね。

――大きな課題ですね。

また、バイオインフォマティクスが立ち上がっていく仲で、いかに効率的にR&D投資を行っていくかが企業にとっての命題となることは先程述べた通りですが、どこでコストを下げるかも重要な問題になります。

薬を作るプロセスを考えていただきたいのですが、実は最もお金がかかるのは疾患の原因を突き止める段階ではなく、マウスなどを用いた臨床実験などの段階なのです。それこそ膨大な資金と時間と人手をかけるのですが、例えばこのフェーズが一年遅れると、それだけで何百億の損になります。勿論その間に他の企業が有力な薬を開発した、ということになれば利益を一円もあげられないことだってあり得ます。

――経営インパクトも非常に大きいように思います。

そうですね、だからバイオインフォマティクスを有効に創薬プロセスに埋め込んでいくことが必要なのです。検査機器やアプリケーションなど、ビジネスチャンスはあらゆるところにころがっています。

複雑化する環境の中で

――リスクマネジメントという視点から言うとどうでしょう。最近ではインフォームドコンセントも進み薬に対する理解も進んでいるとは思うのですが。

非常に重要な視点です。これはある企業の話なのですが、薬を市場に投入する際、説明書に副作用についての説明が不足しており、問題が起こって結局商品を回収し大きな損失を出したのです。いかに安全性を管理するか、というのが重要な問題になってきています。これは社会の潮流でもあると思いますが。

――ドラッグストアやドンキホーテなど、薬の販売も多様化してきましたが。

薬についての責任が製造者責任から小売、つまり販売責任について製薬会社に問われるように変わりました。これは薬事法の改正によるものですが。より厳しいリスクマネジメントが必要になると思います。

――ますます技術と経営が不可分なものになってきているとの印象を受けます。

確かに、自社のR&Dにおいて注力すべき分野はどこなのか、どのようなアプローチを取るのか、特許は、資金調達はどうか。規制はクリアできそうか、など、これまで以上に環境が複雑化しています。

――日本企業の動向はいかがでしょうか。

やはり外資系の参入が本格化し、いよいよ競争が激化しつつあります。バイオインフォマティクスへの取り組みについても積極的なところからそうでないところまでありますが、一様に自社のコアとも言うべき部分を明確化させていこうとする姿勢は見て取れますね。最近は合併の話も多いですが、同じ分野で食い合わないか、研究分野のシナジーは発揮できそうか、などの視点を見極めようとしているな、というのは感じます。

――最後になりましたが今後の展望を。

先ほども申しましたがやはりバイオインフォマティクスはまだまだこれからというのが実情です。ただし、将来性があるのもまた確かです。個人的には、もっと幅広い分野の方がバイオに挑戦してくださるようになるともっと面白いのではないかと思います。ITの専門家でもよし、経営の専門家でもよし、チャンスはありますからチャレンジしてはどうかなと。

――ありがとうございました。

後記

バイオと言うと、いわゆる文系人間はそれだけで逃げていきそうだが、バイオインフォマティクスはなにも特別なことではなく、一つの大きなアプローチであり、その意味さえ理解すればビジネスモデルがいかに重要か、という共通点が見えてくる。

今後、新聞などでこの言葉を見たら、それがどのようなビジネスモデルをもたらし得るか考えてみてほしい。そして、自分にもできるんじゃないか、とバイオインフォマティクスの世界にチャレンジしていく人がもっと増えていくことを期待したい。

なお、インタビューには東京大学大学院修士課程の伊沢太郎氏に同席頂き、適宜解説を加えていただきました。御礼申し上げます。

date: 2005.01.30

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