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Interview

理想と現実のバランス感覚を武器に:寺田学氏〔衆議院議員〕

「政治に興味を持たないなら持たないでいいと思うのです。けれども、政治に無関心ではあっても、政治に無関係ではいられない。そのことをきっちり考えてほしいですね。無関心であるがゆえに自分が被る不利益というものがあるかも知れない」――民間企業から27歳で政界入りした寺田氏に政治への思いを聞く。

総合商社から政界へ。理想と現実のバランス感覚を武器に戦う。
寺田学氏〔衆議院議員〕


■海外体験と総合商社で視野を広げる

――現在最年少の衆議院議員でいらっしゃいますが、政治を志したのはいつ頃からでしたか。

私の父親は秋田県の知事で、その前は市長でした。民間企業の経営者を経て13年前に市長になったのです。その頃から、親の仕事を通じて政治を見る機会があって、それがだんだん政治そのものについての関心につながりました。

それに、学生時代に何度も海外に行ったことで――バイトして海外に行って、またバイトして海外に行く、という日々でした――、国政や外交、安全保障などに対する興味が強まり、商事会社に入ってからは通商問題なども気になるようになってきました。そういう中で、政治についての知識的な面での素地がつくられたように思います。

ただ、実際に自分が政治家になろうと思ったのは、実は一年ほど前です。以前は、政治家には絶対になりたくないと思っていたんですよ。政治というのは、やったことに対してなかなか明確に結果が出て来ない。努力の結果がビジネスほど明快ではありません。父親がそういう立場にいるのを見ていて、そんなのやってられないよ、という思いがありました。それで、大学を卒業したときも、自分のやったことに対して、ある程度明確に、給与という形で返ってくる民間企業に行きたいなと思いました。

――三菱商事を選ばれた理由は。

海外に関わることをやりたいと思ったのと、ジェネラリスト的な立場の所で働きたいなと思ったことです。商社というのはコーディネーターだと思っていたのです。単純にトレードするだけではなく、プロジェクトを一つやる上でもいろいろなファンクションを持っていますし、私がいた業務部の地域担当というポジションでは、担当地域についてのスペシャリストである一方で、仕事に関してはジェネラルに取り扱う。そういう所に行きたいと思ったので商社を選びました。

――業務部の地域担当。

はい。北米と、アジアと、発展途上国の三つの部門に分かれていまして、私はアジアの、マレーシアとインドネシアとフィリピンの担当を一年間やりました。

――その仕事で培ったもの、学んだものはどのようなことでしたか。

ビジネスの基本的な部分を鍛えられましたね。昨日たまたま、学生時代に書いたレジュメを見たんですけど、見難くて仕方が無いし、要点を抑えられていない(笑)。それが、会社が書類に関してすごく厳しい所でしたから、そういったものを作成する力などは随分鍛えられましたね。

それに国際感覚というものや、アジアに関する見識はかなり深まったなと思っています。部署では海外の駐在所などとの連携が主な仕事だったので、扱うものすべてが海外に関することでしたし、従ってその地の政治経済情勢を把握しないといけないので、多面的に海外を見るようになったと思います。学生時代に海外旅行で行くのとは、付き合う相手が違いますからね。旅行に行って付き合うのはいわゆる一般人でしょうが、ビジネスでは良くも悪くも上流の人で、裏と表があったり、政治と関係が深い財閥があったり。つまり経済や商活動の表裏を見ることができるわけですから。

――具体的にはどういうお仕事を。

一言で言うのは難しいです、境目が何も無いですから。営業活動をやると言っても、営業部はいろんな商品・項目毎に縦割りになっているので、そこに横断的にかかる商品や事業体を取り扱ったり、三菱商事の重役と相手方の要人が会合する際にブレーンとして働いたり。地域戦略も考えます。現地法人を廃止するべきか、もっと現地資本を入れるべきか、入れるとしたらパートナーはどこにするべきか、とか。そういう仕事もあるし、一方ではカステラを売るような仕事もある。要するに、非常に幅広いことを扱っていました。

――そのお仕事について、どのようにお考えでしたか。おもしろさや充実感などは。

楽しくはないですよ、コーディネートする楽しみはあると思いますが、私にとって楽しいものではありませんでしたね。個人差によると思いますけど。とても勉強にはなりますが。

――では、どういうお気持ちで働かれていましたか。

一年目は我慢の連続でしたよ。それが今、少なからず実に成っているとは思いますが、辛かったです。とは言っても、とても大きな良いチャンスもありました。経団連の会合に会社の代表として出席できたり、各国の首脳が集まるシンポジウムに行けたり。ただ、会社全体としてやっていることはダイナミックなものですけど、それを実際に支える部分というのは、やはり地味な仕事が多い。一個人として言うなら、やはり楽しくはなかった、つまらなかったですね。

■自分の価値観を示せる場を―政治の世界へ

――会社勤めから昨年、政治の世界に転じられましたが、その経緯をお聞かせ下さい。

会社に勤める中で、「自分自身の〈個〉が死んでいくな」と感じるようになったのです。会社勤めをされている人全員がそうではないと思いますが、私自身にはそんな感覚がありました。この仕事をやるのが自分しかいないかと言うと、そうではなくて、自分が辞めても、別の人が入ってきて何とかなるわけです。
そういうことを感じながら一年目は頑張りましたが、二年目になると、随分と楽になったんですね。仕事の内容は大枠ではつかめるようになりましたし、人間関係も良好になってきたし。それは良かったのですが、逆に、慣れてしまうことが怖くなりました。

つまり、その仕事に楽しさを余り感じていないのに、慣れてしまったり、会社の名前や給料にしがみつくようになったりしたら嫌だな、と。海外で働きたいとか、そんな漠然とした理由で働いていくのも嫌だと思いました。そして、もっと自分の価値判断を強く出せる所、自分というものを強く表現できる環境で、これからの人生を送りたいと考えました。そういうわけで、慣れる前にと思って、二年目で辞めたのです。

――政治家になろうと思ってお辞めになったわけではなかったのですか。

政治家になる気は無かったのです。それに、二年目で辞めてしまったら、もう政治の世界では傷者になってしまって、無理だろうとも思いました。つまり、会社を二年で辞めるような奴に何ができる、と言われるだろうと思いましたからね。

実は司法試験を受けるために辞めたのです。入社一年目の後半から、11時くらいに仕事が終わって、家に帰ってから2時くらいまで勉強する生活を続けていましたので、会社を辞めてそれに集中しよう、と。一年目に溜めた貯金を資金にして勉強しました。

弁護士になろうと思っていました。弁護士というのは、勿論、法律の枠というものがありますが、法律をどう解釈するかに自分の価値判断を出せますよね。すごく自由な仕事だと私は考えていました。そういう背景もあって、会社を辞めたのです。

それが、去年の1月、ある学生時代の先輩が、勤めていた会社を辞めて政治の世界に入ることになった。その人と話をしたとき、私も自分の思いを話したら、単純に「じゃあ、何故やらないの」って言われました。ああ、そうだ、疑問を感じているのなら、やらなきゃな、と。そう思って、選挙に出ることにしました。

――そして民主党の県連の公募を受けられました。一度、内々定をご自身でお断りされていますが。

ええ。公募をやれと言ったのは私なのです。そのときの県連は、意思決定の過程が余りに不透明でした。私を担ごうとはしたものの、メンツとして候補者を立てようとしただけでした。知事の息子だということで知名度もあるし、県連としては取り上げ易いんですね。でも勿論、知事の息子だからと言って引っ張ってきて担いだとしても、それは有権者に対してやはりおかしいでしょう。それで公募することを提案しました。

そういう経緯で公募が行なわれ、私が内々定しましたが、当時の県連三役は結局、ただ候補者を立てれば良いというマインドだったのです。とても自分の将来を掛ける気にはなれませんでした。

それで一旦、内々定を断りました。散々批判されましたね。生意気だとか、お坊ちゃんが御乱心だとか、思いつきでやっているとか言われました。でも、一旦断った後で、旧三役の下で不満を感じていた人たちの協力を得て、新体制をつくることができたのです。それから党本部に公認申請をして、民主党の公認候補になりました。

――そういう過程を経たことで、政治への意識に何か変化はありましたか。

意識の変化はありましたよ。それまでは、勝つか辞めるか、に近かったのです。つまり、勝てる確信があるかどうかを考えていました。それが一回内々定を蹴ってからは、出ることに異議がある、有権者の選択肢になりたい、という思いに変化したと思います。

――選挙活動ではどんなことに苦労されましたか。

知事の息子で27歳ということで、思い切りいろんな色眼鏡が付いていました。私が本当にバカかどうかは別にして、バカだろう、とか、会社を二年で辞めたのだから根性無いだろう、とか。そういう目で見られましたね。知名度はありますが、距離感を持って見られて、親近感が無い。そういう色眼鏡を外してもらうのに苦労しましたね。選挙活動をしても人が来ない。公開討論会をしても、300人くらいのキャパがある会場に50人くらいしか集まらなかったりして(笑)。色眼鏡を外してもらうためには話を聞いて判断してもらうしかないのに、なかなか話を聞いてもらえない。判断してもらう段階に至るまでに随分掛かりましたね。

――そうした距離感が薄れていくのを徐々にお感じになりましたか。

途中から感じました。個別訪問や街頭演説をしていると、ああ、一生懸命やっているね、と見ている人たちも思ってくれるようになってきたな、空気が変わってきているな、というのは感じていました。

――短期間の選挙活動で、小選挙区で勝つのは大変なことと思います。勝因は何だったのでしょうか。

若さに対する期待というものが強く作用したのでは、と思っています。それまで秋田一区は、佐藤敬夫さんと二田孝治さんが二人でずっと争ってきた場所(この二氏が5期に渡って議席を争ってきた――編集部注)なのです。そこにまったく新しい、若い候補が出てきた。そこで若さへの期待が働いたのだと思います。私はいわゆる「都市型選挙」みたいなこともやっていましたし。それまで街頭演説も余り無かった地方で、街頭演説して回ったことは、ひたむきなようにも、新しくも見えたのではないでしょうか。

――先程苦労された話をうかがいましたが、逆に選挙活動の中で楽しかったというか、感動したことは。

自分の一挙手一投足が見られていることに対して感激しましたね。街頭でビラを配っていたとき、なかなか受け取ってくれないのですが、時折受け取ってくれた人に「ありがとうございます」と言っていたのです。そうしたら、ある女性が告示中に事務所にやって来て「ありがとうと言われたのは新鮮だった、心に響いた」と言ってくれました。自分の一挙手一投足が誰かに影響を与えているんだな、ということに喜びを感じましたね。その十倍くらい文句を言われたり罵声を浴びせられたりしましたが(笑)。

■日本を「商社みたいな国」に

――政治家になられる以前と今とで、政治に対する見方にギャップはありますか。

それはありませんね。勿論、肌身で見ていたのは地方政治でしたけど、選挙というイベントに関しては同じように見えますし、実際この場に来てからも、議員のある意味での無力さ、つまり、ものすごい情報収集能力や立場を与えられてはいるけれども、480分の1であるが故にそれほどの実効性が無い――勿論、その上でやれることはいっぱいあるわけですが――ということについては、議員になる上で覚悟してきたことなので、そういった意味では思っていた通りです。

――国会議員として取り組んでいきたいことは。

国政を目指したのは外交をやりたいと思ったからですが、勿論、外交は一朝一夕にできるものではありません。イラクへの自衛隊の派遣一つとって見ても、国際貢献論も対米論も憲法論も複雑に絡み合っていて、簡単にはいかない。ですから、外交はこつこつ取り組んで行くことにして、一方で直近の課題として、地方分権に力を入れたいと思い、総務委員になっています。地方から出てきた人間ですしね。

――ホームページを拝見しますと、いわば「新しい政治のスタイル」を目指されているようにも思います。

それは勿論、27歳にして当選させてもらった以上、これから生きる人間として考えなければならないものがあります。これまでの体制が制度疲労に陥っていることは、旧体制の人も今の人も思っていることでしょう。それをどうしていくか、というのは自分たちの世代が能動的に取り組んでいかなきゃならない。
ただ、「新しい政治のスタイル」ということで言えば、国会議員がどうあるべきか、ということは副次的な話だと思うんです。国会議員になった以上、まずやるべきなのはどんな日本を創っていくのかという話であって、どんな国会議員であるべきかという話は、大事なことだけれども、あくまで二次的なものですね。まだ若い野党の議員が何をするべきかといえば、まず、あるべき国家像を考えることですよ。

それと同様に、その時々に迫ってくる問題――例えば鳥インフルエンザの問題のような――そういう直近のスポット・スポットをこなしていく政治とか、不正を正していく政治というよりは、もっと建設的な方向を向いて、これからの日本をどうしていくのか、ということを考えていかなければならないのです。外交問題、安保の体制、憲法論も今はアンタッチャブルなものではなくなっていますし、そういう国家の柱に関わる話を、今後の一定期間に議論して、ある程度の結論を出していく、そういう取り組みをしていこうと思っています。

――日本のあるべき国家像とは。

会社に勤めていた頃から海外と関わる中で、日本がある意味モデルとする国はどこだろう、と考えてきました。アメリカなのか、EUなのか。それらは先進国同士として付き合う国ではあるけれども、国の在り方として日本のモデルではないでしょうね。モデルとするのは、シンガポールやアイルランドに近いと思うのです。国土が小さい所で、マンパワーを如何に出していくか、という。

安全保障についても、どこかにべったり付くというよりは、どこにもべったりとは付かずにバランスを取って、国際的な事柄の仲介役というような役割に落ち着けたら良いなと思いますね。それも結局は、独自のモデルを作り上げることになると思いますし、日本にはそれができると思っています。

重要なのは、単純には言えないわけですが、日本は他国と共存しないと生きていけない国なのです、本当に。そして、ある意味では他国に依存しなければならない。――依存が良くないわけではなくて、一国依存が良くないのであって、他国に対してある部分で依存するということは他の部分に関しても強烈なコミットメントがあるでしょうから、そういうものをうまく活かして、アメーバのように多くの他国と関係性を持っていく国であるべきだと思うのです。

そういう意味で、安全保障においても通商においても、日米関係は大事だけれども親米になり過ぎるのは将来的には好ましくない。それに、北米圏ができてEU圏ができて、次はアジア圏だ、という単純なものでもないと思います。確かに、アジア圏をつくるイニシアティブは取っていけば良いと思いますけど、ではアジアにどっぷり浸かるのかと言えば、日本はそこからも一定の距離を置くべきだと思います。

つまり、そういった三極構造の中でバランスを取っていく。中途半端とも言えますが、いわば商社みたいな国にしたいと私は思っているんですよ。

――確かに、商社的な発想ですね。

日本という国は、これから軍事的なパワーを増大させていくのは恐らく無理でしょうから、経済的なコミットメントによって外国と関わっていくという視点が重要だと思っています。例えば、今回BSEの問題では、アメリカが日本に牛肉を輸入してくれと圧力を掛けてきたわけですが、そこで日本はオーストラリアにリスクヘッジできたわけです。つまり、この点においては日本の方がパワーが強いのです。アメリカは日本が輸入してくれないと困るわけですから。これは一種のカードになり得ますよね。このような経済的なコミットメントを対外関係にうまく活用していくことが重要です。

■バランス感覚とリスクの取り方

――政治家として必要な能力は何だとお考えになりますか。

バランス感覚だと思いますよ。現実的な思考力が必要で、それに頭の中では理想像をしっかりと描いていくことが必要でしょう。政治家というのは、革命を起こす人ではないと思うのです。改革を起こす人ではあるけれども。というのは、これだけ成熟した社会をバーンと一気に変えることは、変えられたとしても、絶対に必要以上の軋轢を生じてしまうからです。

ですから、頭には理想的なものを持ちつつも行動は現実に即したやり方であることが重要だと思います。現実に即して、理想に基づいた布石をひとつずつ打って行く。ベクトルを持った上での現実的な対処方法を取るということですね。それをするのはバランス感覚だと思います。ミュージシャンは頭に理想を描いて口でも理想論を言っていれば良い、官僚は現実的な頭を持って現実的な行動をする、政治家はその中間を取らなければならないのです。それは難しいことだし、どちらからもいろいろと批判されますから、それに耐える忍耐力とバランス感覚が重要だと思います。

――政治を志す人にメッセージをお願いします。

今、選挙で勝てる人間と、政治家として求められている人間との乖離が激しいと思います。政治家として求められている人間が選挙に勝っているかと言えば、必ずしもそうとは言えないわけです。それを、政治をやりたいと思う人が――必要とされている人とは別かも知れませんが――、頭さえあれば入って行ける、そういう政治にしたいと思っています。

ただ、現実として、門戸はまだまだ狭いです。申し訳無いけどそう思います。ですから、私もそれをもっと広げて、政治の浄化を図ることに取り組んでいきたいと思っていますので、政治への志がある人には、その気持ちだけは持ち続けてほしいなと思います。

それでも、自分には政治しかない、と思うような人は入ってきたら駄目だと思いますよ。

――バランス感覚という意味で。

選挙に対する思いと政治に対する思いの間で、バランスを取れないといけません。乱暴な言い方をすると、政治家になるために必要以上の苦労をするのは良くないと思います。苦労は政治家になってからするべきだと思いますから。選挙のときに苦労し過ぎて、何度も何度も挑戦してやって上がってきた、となると、選挙に対する思いだけが強くなって、この場に居続けることに固執してしまうと思うんです。いつ落ちても良いや、というくらいの人の方が、大胆なこともやれるだろうし。これは、知事の息子ということで、ある意味、楽をしてきた人間の論かも知れませんけど。

――では、逆に、政治に対して関心を持たない方へのメッセージとしては。

それについては結構ドライで、興味を持たないなら持たないでいいと思うのです。けれども、なぜ政治があるかというと、社会の隅々にまで関わることだから政治が必要となるわけです。だから、政治に無関心ではあっても、政治に無関係ではいられない。そのことをきっちり考えてほしいですね。無関心であるがゆえに自分が被る不利益というものがあるかも知れない。それを甘受するのかどうか。嫌だと思うのなら関心を持てば良いじゃないか、と。有権者の行動もやはり自己責任なのです。

――最後に、民間企業から政治に転じた、ご自身の生き方のポリシーをお聞かせ下さい。

要するに、リスクの取り方次第だと思いますよ。リスクを取った分だけ返ってくるものも多い。人生だって、リスクを取れば、それだけリターンも増えるわけです。一サラリーマンであれば、リスクが少ない分だけリターンも小さいけれども、そこは好みの問題ですよね、私はリスクを取りたかったのです。

人生なんて、たかだか80年ですよ。1,000年生きるのなら、もっと慎重に生きるかも知れませんけど(笑)。それに、これだけ恵まれた国に生きているのです。リスクを取れる環境にいるのだと思いますよ。やり直しなんて幾らでも利くし、失敗したって死ぬわけではないし。やりたいと思うなら、リスクを取ってやってみることではないでしょうか。

――ありがとうございました。

寺田学〔てらた・まなぶ〕氏
1976年生まれ。秋田県横手市出身。中央大学経済学部産業経済学科卒業後、三菱商事株式会社に入社。業務部にてマレーシア、インドネシア、フィリピンでのビジネスを担当。勤務の中で「三菱商事の一員としてではなく、寺田学として出来ることはないか」との思いが強まり、同社を退社。2003年11月、第43回衆議院議員選挙に秋田1区で出馬、全国最年少(27歳)で当選。第159回通常国会では総務委員会、政治倫理審査会に所属。民主党本部青年局長・男女共同参画委員会副委員長。尊敬する人物は吉田茂。愛読書は司馬遼太郎著『峠』。趣味は旅行、ドライブ。

※この記事は2004年5月発行『New Beginning』第3号に掲載(肩書き等は当時)。

date: 2004.05.31

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